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ASD父の特殊な躾(とくに、テレビについて)

青ねずみ

幼い頃の記憶を少しずつ綴っています。読んでくださる方の心に、何かが届くことを願って。

私の父は、とにかくこだわりが強く、偏屈で、頑固だった。そして、ひどく物好きだった。あとから思えば、ASD (自閉スペクトラム症)そのものであった。このこだわりのせいで、子供の躾もひどく特殊なものであった。

目次

TVをつけられない、チャンネルを変えられない

父は電気関係の技師で、TVの大規模な回線工事などの仕事をしていた割には、TV番組が大嫌いだった。「あんなものは人間の頭を悪くする」とよく言っていた。 自然、自分の娘にもTVは見せたがらなかった。「頭が悪くなる」の他に、「目が悪くなる」という理由もあった(青ねずみは、「TVを見ると目が悪くなりいずれ失明する」と本気で思いこまされて育ったのであるが、この話はまた次にでも)。 また、「子供がチャンネルを操作するなんて、お行儀が悪い」という理由で、私はTVチャンネルの操作を禁じられていた。私はTVのスイッチを入れることもチャンネルを変えることもできず、大人のつけたTVを一緒に観るだけだった。それも、父の選んだ限られた番組だけだった。

振り返って思うこと

この躾が強烈だったために、青ねずみは大人になってからもTVのスイッチを入れることができなかった。
もちろん、「スイッチを入れる」という物理的な動作は十分に習得できているが、スイッチを入れる際に、「・・・やっていいんだっけ?」という戸惑いを伴うのである。「TVのスイッチ入れておいて」という家族からの声かけがあって初めて安心してその動作を遂行できるのだ。幼少時に禁止事項が多すぎることは、軟禁状態と類似している。

弟は、この特殊な躾の犠牲者とはならなかった。青ねずみと弟ねずみとで5年の年齢差があるので、時期の差のせいもあるが、男女の違いもあるかもしれない。弟が縦横無尽にリモコンを操るのを、自分は「え!?この子はいいの!?」という思いで見ていた。この話はまた後日に。

歌番組を観ることのできない子供時代

父は、歌番組が特に嫌いだった。歌謡曲を歌う歌手が出てくると、「こんな『歌うたい』を見て何が楽しいんだ」と文句を言いながら、苦虫を嚙み潰したような顔でTVを消した。『歌手』とは決して言わず、『歌うたい』と言った。父の中では、歌手というのはマリア・カラスやルチアーノ・パヴァロッティのような人々のことしか指さなかったのだった。
歌謡曲(私の子供時代、歌番組の主役は歌謡曲だった)の番組が始まった時、父が「うわあ、いいのが始まった~」と言いながらTVを消すこともあった。もちろん父特有のひねくれた表現である。いずれにしてもTVを消すのである。ある時、父がこの台詞を述べたので、私は「そうですね!いいのが始まったんで、見ましょう!」と言ってみた。まあ、想像に難くないが、父は激高して「ふざけるのもいい加減にしなさい!」と叫んでTVを消した。

酒量が増えて人格が荒廃しだしてからの父は、居間で飲酒し、そのままその場で寝るようになった(私が小学生の頃からだ)。

青ねずみ

まあ、家が狭いという理由もあったのですが・・・

TVを消すだけで済まないほど機嫌を損ねたときは、その場で居間の電灯まで消し、ごろんと寝てしまった。その場に家族の団らんがあっても、家族が食事中であっても、だ。

父「うわあ、いいのが始まった~」
青「そうですね!いいのが始まったんで、見ましょう!」
父「ふざけるのもいい加減にしなさい!」

父、TV消す、その勢いで居間の電気も消す、その場でごろんと寝てしまう。残された家族はそっと居間を出るしかない。
だいたい、このあと、母の「また青なの!? あんたが馬鹿なこと言うからこういうことになったんじゃないの!!」というお怒りが続くのだった。

家でTVを観られないことは、学校生活を送るうえでも非常に支障をきたした。同級生たちの会話についていけないのである。歌番組を観ていないことは致命的だった。クラスの出しものを決める時、遠足のバスの中etc・・・、困ることだらけだ。知っているふりをしながら口パクや手拍子でなんとか参加している体を装い、その場で必死に覚えた。しかし、覚えたものを自宅で口ずさむのはご法度だった。父が「なんだそのくだらん変な歌は?」と咎めるのである。うっかり自宅で歌いだしても、ワンフレーズ歌って気がついたら慌てて口をつぐんだ。

大人になってからは、さすがに歌を口ずさんで親から怒られることはなくなったが、それでも苦労がなくなったわけではない。職場仲間に連れていかれたカラオケで、歌える曲がない。周りの人たちの歌う歌も初めて聞く歌だらけだ。 「青ちゃんの世代だったら中森明菜とかじゃない?」と言われて、「ええ・・・うん・・・えっと・・・まあ、そうかも・・・」と、曖昧な笑顔でごまかす。みんなが「わぁこれ懐かしい~」と盛り上がっている時にも、「懐かしいよね~」と必死に話を合わせるが、その曲がいつ流行った曲なのかも知らないので、頭の中は常にパニック状態になっている。

私は、子供時代から、流行り歌に「同時代性」を感じることができずに育った。有名な歌のいくつかは、クラスの出しものや遠足のバスの中で覚えた。それが蓄積され、歴史の教科書のようになっている。誰かと歌について話す時、頭の中では高速回転状態となる。「これは、小4のバスの中でK君が歌っていた。ってことは、それより前の曲のはず。」といった検索が脳内でなされ、その曲の時代を把握する。この脳内の検索と検算を経て、「うんうんわかる!懐かしい!」となるのである。センター試験の日本史問題を解くのと同じである。

振り返って思うこと

行きすぎた禁止事項のために社会的な交流を制限し、同世代から孤立させる行為は、虐待のひとつと言える。

自分の場合は、幸いにして物覚えの良さに恵まれたので、一度聴けば大抵の曲はその場で覚えることができ、それの蓄積により、経時的に「困り感」は薄まってきた。しかし、この力に恵まれていなかったら、社会適応はひどく悪いものになっていたに違いない。

その他 小エピソード① ~芸能プロダクション~

小学生時代、芸能プロダクション勤務の父親を持つ女の子が同じクラスにいて、一時期仲良くなった。

父「こういう子とは、仲良くならないでください」
青「なんでですか?」
父「お父さま(=父自身のこと)は、芸能プロダクションのようなものが大嫌いだからです。その子がもし家に遊びに来た時、うっかりお父さまが『こんなゴミみたいな仕事するやつどもが・・・』なんて話したら困るでしょう?だから仲良くならない方がいいんです。」

振り返って思うこと

これは、親としての自覚に乏しい。子どもを持たない一個人が自身のこだわりを貫くのはまだかまわないが、親となった際には「これからは自分一人のこだわりを押し通してはいけないな」と気を引き締めるべきであったと考える。

小エピソード② ~ 「キャンディ♡キャンディ」~

父が忌み嫌うのは、歌番組だけではなかった。世の中で「キャンディ♡キャンディ」という少女漫画のアニメが流行った当時、私も少女だったので観たかったのだが、父が「ひとつ流行ると真似して次々とくだらんのが出てくるな」と苦虫を噛んでTVを消してしまった。それは「この番組は見るな」という意味であった。父の中では「アルプスの少女ハイジ」が真面目な正統派で、そのあとに作られた民放アニメは「真似したくだらん作品」なのだった(注:「アルプスの少女ハイジ」も民放アニメなのだが・・・)。
「キャンディ♡キャンディ」に関しても、クラスのほとんどの女子が観ていたのに私は話についていけず、悲しい思いをした。同級生の貴公子のような男子が「僕のお姉さんも観てるよ。クラスの女の子はだいたい全員観てるよ。」と私に教えてくれた。

青ねずみ

「観るといいよ」と声をかけてくれていたんだな。やさしかったな・・・

小エピソード③ ~白黒テレビと、100円玉を入れるテレビ~

父とTVに関しては、エピソードに事欠かない。 カラーテレビの時代なのに、我が家のTVは白黒TVだった。 父は「カラーで見せると子供の想像力が育たない」などと言っていたが、本当はNHKの料金を安くしたかっただけかもしれない。

アルプスの少女ハイジ


私は幼少時、白黒TVで育ったので、幼児番組で色画用紙が出てきたときも、紙の濃淡で色を想像していた。「アルプスの少女ハイジ」も白黒で観て、色を想像していた。私の想像の中では、ハイジはシックな色合いの素敵な服を着ていた。ある時、従妹の家でたまたまこの番組を観たとき、初めてカラーで観たので驚いた。なにこの単純で下品な原色の服!? その夜、家に帰って放った自分の台詞を今でも忘れていない。

青ねずみ「カラーテレビなんて要らないよね、カラーだなんて言ったって、違う色がついているんじゃ台無しだもんね」

青ねずみ

うわぁ・・・(やれやれ・・・)

またある時、父は、昔の旅館や民宿でよく見かけた「100円玉を入れると1時間視聴できるTV」をどこからか手に入れてきた。曰く、
「これは素晴らしいものだ! TVの見過ぎを防ぐとともに、貯金にもなる。一石二鳥だ!」

しかし、このTVにいち早く苛立つようになったのも、他ならぬ父だった。大好きな大河ドラマの最中にTVが切れ、急いで探しても100円玉が見つからないような場面で、父は誰よりも苛立った。 そのうち、「料金箱」の後ろ部分がぶち抜かれ、料金箱の上には常に1枚の100円硬貨が置かれるようになった。すなわち、TVを観るために入れた100円玉は、すぐに料金箱の後ろから回収され、箱の上に置かれるのである、次に画面が切れたときに素早く硬貨を入れて画面をつけられるように。かくして、1枚の100円玉が無限に循環しているだけで、ただ硬貨を入れたり回収したりする手間が面倒なだけのTVになったのである。

振り返って思うこと

父の行動には度々奇異なものがあった。「物好き」という言葉で語られることも多かった。毒のない、笑えるエピソードも多いので、切り取り方によっては愉快で楽しい家族のようにも描ける。旧友から「あの面白いお父さん、元気にしてる?」と尋ねられることもある。エピソードの面白さと、それが日常的に繰り広げられることによる苦痛とは、次元の異なるものである。

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この記事を書いた人

虐待サバイバー医師です。内科医兼精神科医です。医学部再受験の時のことや、自身の歩んできた道、思うことなどを書いていきたいと思っています。

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