
幼い頃の記憶を少しずつ綴っています。読んでくださる方の心に、何かが届くことを願って。
「青ねずみと弟ねずみ、どっちがかわいい?」
ここからしばらくは、弟が生まれてからの話が続く。
私が4歳半の時、弟が生まれた(弟と私は学年で5つ違いとなる)。この時、近くの小児科の女医先生(性器の形に異常がないことを教えてくださった、T先生)が母にこんなアドバイスをしたらしい、
「姉と弟で5つ違いだなんて、これは最悪の組み合わせよ。どんな時にも青ちゃんを一番にね、弟くんが泣いてても青ちゃんを膝に乗せてあげるのよ、忘れずにね。」
と。母はこの言葉をよく覚えていたらしいが、実際のところ、行動は伴わなかった。
ありきたりな台詞であるが、幼い私も
「青ねずみと弟ねずみ、どっちがかわいい?」
と母によく尋ねていた。母は、
「どっちも同じようにかわいいわよ。」
と答えたが、その後で
「でも、そんなことを言う青は嫌よ。」
と言うこともあり、それを聞く私はとても寂しい気持ちになった。
振り返って思うこと
「どっちがかわいい?」と質問は、「寂しいです」という気持ちの表明であったように思う。これまでのようには親の愛情を独り占めできなくなったことによる、圧倒的な喪失感。これに対しては、「どっちも同じようにかわいいわよ。」という答えだけでは解決にならない。これまで(=一人っ子時代)に比べて何も失っていないことを伝え、安心させる必要がある。
第一子を優先させることに関しては、スタジオジブリの映画「となりのトトロ」の母子の面会シーンが良い例である。
母親「サツキ、おいで。ちょっと短すぎない?」
サツキ「私、この方が好き」
(母親、サツキの髪を梳きはじめる)
メイ「メイも!メイも!」
サツキ「順番!」
母親「相変わらずのくせっ毛ね。私の子どものころとそっくり」
サツキ「大きくなったら、私の髪もお母さんのようになる?」
母親「たぶんね。あなたはお母さん似だから」(「となりのトトロ」より)
母親の視線は第一子のサツキに注がれており、第二子のメイが割り込もうとしても取り合わない。サツキを褒め、サツキの喜ぶ言葉をかける。「お姉ちゃんなんだからメイに優しくしなさい」という台詞は出てこない。
このシーンは、私の母が聞いた(そして実践できなかった)小児科医の助言と鮮やかに重なる。
母が小児科医の台詞を覚えていてくれたことだけでも、後日の私にとっては救いであった。後になって、母は
「あんな助言があったのにね、真剣に聞かずに流してしまったのね。青がいい子で聞き分けが良かったから、『なんだ、うちは大丈夫じゃないか』なんて思い、軽く考えてしまった。ほんとうは大丈夫なんかじゃなかったのにね。」
と謝ってくれたことがある。
私の子供時代、母は母で生きるのに精一杯になっており(※後述の予定)、その日その日をなんとか過ごせればよしとするような毎日になっていたのだろう。そんな日々の中では、長女を優先するかどうかなどは些末な問題になっていたに違いない。
「僕とお姉さん、どっちがわがままですか?」
数年後、少し大きくなった弟ねずみが、父に
「僕とお姉さん、どっちがわがままですか?(注;我が家では親に敬語で話すように躾けられていた)」
という質問をしていた。
それに対する父の返答はこうだった、
「それはお姉さんです。なぜならお姉さんには一人っ子だった時期があるからです。」
その時弟が
「イェーイ!イェーイ!お姉さんわがまま!お姉さんわがまま!」
と狂喜乱舞していたことは忘れられない。
振り返って思うこと
父自身、長男ではあったが上に姉が一人おり、立ち位置的に弟ねずみに近かったので、弟ねずみに肩入れしやすかったのかもしれない。そうであったとしても、弟の質問に対する父親のこの回答は、著しく配慮に欠けるものだったと思う。また、回答としての適格性にも欠けていた。なぜなら、父の回答は「○○の点でわがまま(わがままの内容)」を欠いており、「もしもわがままであったとしたら(仮定)、その理由」に終始していたからだ(実際のところ、長女の自分は常に我慢を強いられており、わがままを言うことが許されるような環境にいなかった)。 父の回答は子どもたち二人のどちらにとっても教育的な意味を持たず、片方を無駄に傷つけるだけという、非常に残念なものであった。
「お姉さん」と呼ばれること
弟が生まれてから、家族の中での私の呼び名は「青」から「お姉さん」に変わった。よく見かけることではあるが、父親からも「お姉さん」と呼ばれた(母は、一貫して「青」と呼んでくれていた)。私は、父から「お姉さん」と呼ばれるのが嫌いだった。昭和2年生まれの父親から「お姉さん」呼ばわりされるなんて、私は大正生まれかなんかなんですか!?
青ねずみ「お姉さんではなく、青、って呼んでください。私の名前は青なんですから。」
父「青は、もう人間的に十分成長したという意味を込めて、敬称としてお姉さんと呼んでいるんですよ。」



いい加減な言い訳である。なるほど、それでは弟ねずみも、人間的に十分成長したら「お兄さん」と呼ばれるのが順当ですわね。 それで、私はそれから5年間待った(弟との年齢差分である)。しかし、果たして5年経っても弟ねずみは「弟ねずみくん」のままである。弟は人間的に十分成長していないとでも言うのだろうか!?
振り返って思うこと
家族の中で第1子が親からも「お兄ちゃん」「お姉ちゃん」などと呼ばれることは、実際はよく見かけることである。その家ごとの文化であるから、本人が気にしていない(もしくは、喜んでいる)のであれば、それでもかまわない。しかし、(青ねずみのように)はっきりとそれを拒否する子もいれば、はっきりとした拒否はないものの深層心理で傷ついている子もいるだろう。
弟から「お姉さん」と呼ばれるだけならば自然なことであるが、親からも「お姉さん」と呼ばれる場合、それは役割名である。
青ねずみは、現在、仕事柄若い患者さんの相手をすることが多いが、これと似たような場面を見かけた時には、親御さんに「せっかく名前があるのですから、できれば役割名ではなく、名前で呼んであげてください」と声をかけるようにしている。
付記
今、この文章を書きながら初めて発見したことがある。私の家の中での呼称は、
「おとうさま」
「おかあさま」
「おねえさん」
「弟ねずみくん」
であった。
これまで数十年間気づかなかったが、実は整合性がとれていない。
統一感を考えれば、「おねえさま」が順当でしょう。
姉をないがしろにすることが許されてしまう我が家の文化は、こうした小さなところからできてきたのかもしれないなあと、改めて思った次第。