MENU

姉弟間の格差① ~家庭内カーストの変化(雛人形、チーズケーキ)~

目次

家庭内カーストの変化(搾取子・愛玩子)

弟が生まれてから、家庭内カーストが大きく変化した。具体的には、青ねずみの立ち位置が大きく最下位に落とされた。

弟に対する両親のかわいがりようは相当なものであったが、両親を観察すると、この二人の考えは必ずしも同じものではなかったように思う。父は、「長男」が生まれたことに夢中になり、長男にすべてを与えようとした。一方で、母は「末っ子」の「男の子」がかわいくてたまらないようだった。理由は異なるものの、弟ねずみを最優先にするという結果は共通していたのだった。

ネットスラングで言うところの、青ねずみは「搾取子」、弟ねずみは「愛玩子」であった。

節句の例 ~娘のための雛人形はなかった~

見た目にも明らかな不平等の例としては、節句の扱いの違いがあった。 家には私のための雛人形はなかったが、弟のためには鯉のぼりの他、兜まであり、5月にはこれらが誇らしげに飾られるのだった。 子どもながらに、これは寂しかった。
幼稚園くらいになると、呼ばれていった友達の家に五段飾りの雛人形があるのを見て、羨ましく思った。ピアノの先生の家にも、立派な雛人形が飾られていた。

青「いいな~。青の家にはお雛様がないのよ。」
ピアノの先生「こんなのあったって、出すのはとっても面倒なのよ。冠かぶせたりして、大変なんだから。」
母(横で)「そうよ。」

振り返って思うこと

こういったものは母方の実家から贈られるのが一般的なので、両親だけを咎めることはできない。また、父の郷里は古い慣習の残る田舎なので、とりわけ長男の誕生に対する喜びが大きかったようだった。兜は父の実家からの贈り物だった。そうした経緯はしかたないにしても、子どもたちの誰かが傷つかないかという、一定の配慮は欲しかったと思っている。

実は、母方の祖母は、立派な雛人形を贈ることができなかった代わりに、一体の日本人形を贈ってくれたらしい。しかし私は、それが自分の節句のための人形だとは認識していなかった。そういう説明がなかったからである。上述の「配慮」に関して言えば、例えば桃の節句の頃にその人形を家の目立つ場所に置き、桃の花で飾るなどの演出がありさえすれば、幼少の私はここまで寂しい思いをせずにすんだのではないかと考える。

ピアノの先生から「面倒なのよ」と聞いたとき、幼い自分は、お雛様に冠をかぶせるといういう素敵な作業が自分の家にないことを痛感し、余計に寂しくなったものだ。人形に冠をかぶせたりする、一見実用的でない作業を家族共同で行うことこそ、年中行事の大切な部分なのではないか。これこそかけがえのない豊かな時間になりうるのだ。
また、ピアノの先生の言葉に母が同調したことも悲しかった。母からは、「この子にはかわいそうなことをしている」という言葉が聞きたかった。

チーズケーキで我慢しなければならなかった話

下に兄弟がいる人にはよくありがちなことではあるが、私も例に漏れず、「お姉さんなんだから我慢しなさい」「弟に譲りなさい」と言われて育った。
幼い自分は、よく考えていた。自分から選んでお姉さんになったわけでもないのに、なぜこんな我慢を強いられるのだろう? 自分は何か悪いことをして罰を受けているのだろうか? 罰だとしたら、何年我慢すればこの役割が終わるのだろう? 
何年我慢したところでこの役割が終わるわけないという結論に行き着くと、もう絶望的な気持ちになったものだ。

私が8~9歳頃だったある日。親戚が持ってきたお土産のケーキがあった。紙のケーキ箱に、種類のバラバラのいくつかのケーキが入っている。例によって、弟が真っ先に好きなものを取った。フルーツの乗った、いちばんデコラティブなものが選ばれた。
いくつかのケーキがあったのに、なぜ自分に残り物が当てられたのかは、残念ながら記憶していない。しかし、自分に当てられたのがチーズケーキだったのはよく覚えている。それが、自分にとって初めてのチーズケーキだったのだ。装飾のない、昔ながらのシンプルなチーズケーキだった。今でこそチーズケーキは大好きだが、幼かった自分にとっては、この時点で味を知らなかったし、見た目が地味で、「はずれ」に見えた。

青「ずるいずるい!いつも弟ねずみくんばっかりいいの取って!」
母「お姉さんなんだから我慢しなさい」
青「そんなこと言ったら、いつも私が我慢しなきゃならないじゃない!一生、ずっとじゃない!」
母「そんなことないわよ。いつか青がいい方を選ぶことだってあるわよ」
青「絶対?」
母「そうよ」
青「いつ?」
母「いつって、いつかよ」
青「そのときは、ちゃんと弟ねずみくんがこれ(=チーズケーキのこと)で我慢する?」
母「そういうこと言うんじゃないの!そういうこという青は嫌いよ」

この言い合いの後、例によって私がひどく怒られた。ケーキの味は覚えていない。

振り返って思うこと

これは、どの家庭にもよくありがちなひとこまであり、特に面白くもなんともない話なのだが、少々思うところがあって載せた。
この会話を振り返ると、母のやり方が下手なのである。
「あら、これはチーズケーキよ。とってもおいしいのよ。食べてごらんなさいよ!」と明るい雰囲気で言ってくれさえすれば良かったのだ。決して「はずれ」が当てられたわけではないことがわかれば、子どもだってここまでごねなくてよかったのである。

・・・とまあ、そんなことが書けるのも、後から振り返ればこそである。当時の母親には、日々戦いの連続で、長女のフォローにまで気が回らなかったのだろう。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

虐待サバイバー医師です。内科医兼精神科医です。医学部再受験の時のことや、自身の歩んできた道、思うことなどを書いていきたいと思っています。

目次