突然の呼び名変更 ~『おとうさま』『おかあさま』から『おとうさん』『おかあさん』へ~
私の幼少時、両親の呼び名は「おとうさま」「おかあさま」だった。そのように教えられたので、われわれ姉弟は二人ともそう呼んでいた。たとえ周囲から笑われても、親から「うちはうち」と言われれば、それに従うしかなかった。
ところが、弟が小学校に入学する少し前、突然父が呼び名変更の宣言をした。
父「今日から、『おとうさま』『おかあさま』ではなく、『おとうさん』『おかあさん』にします」
驚き、とまどう姉弟。理由を尋ねると、こうだ、
父「弟ねずみくんが小学校に入るからです。弟ねずみくんが小学校でからかわれるとかわいそうなので、これから一般的な言い方に変えるのです。」
青「・・・・・」
弟が小1になる直前ということは、私が小6になる直前ということだ。 つまり、私は小学校5年生までの間、同級生たちにからかわれながら学校生活を耐えてきたということである。 これについては、父よ、どう思う?
振り返って思うこと
我が家での意思決定は完全なトップダウン型であった。父が宣言すれば、その日からそのようになる(そうせざるを得ない)。それにしても、物心ついてから12歳まで使い続けた呼び名を「今日から変えるぞ」と一方的に宣言されたところで、そうそううまくはいかないのだった。
青ねずみ「ねえ、おとうさま、」
(父、無視して新聞を読み続ける)
青ねずみ「おとう・・・さ・・・ん・・・」
父(おもむろに振り向き)「はいなんでしょう」
といった感じで、不自然なこと不自然なこと。 こんなおかしげな応酬を繰り返してからようやく落ち着いた。 おそろしく人為的である。
この唐突なルール変更は、父の気まぐれだったのか?
それとも、本当に小学校入学前の弟ねずみへの配慮だったのだろうか? もしそれであれば、青ねずみに対する配慮が欠けていた(もしくは遅れた)ことに対する説明が一言必要だったはずである。
親の呼び名が「おとうさん」「おかあさん」に変えられてからも、家の中で敬語で話す文化は存続した。しかし、だんだんと、敬語は父に対してだけ使われるようになっていった。
父は、母に対しては敬語を使わず、青ねずみと弟ねずみに対しては敬語で話した(子どもたちにお手本を示すつもりだったのもしれない)。母も青ねずみも弟ねずみも、父に対してだけ敬語を使い続け、それ以外はくだけた話し方になっていった。その後さらに時間がたつにつれ、弟ねずみの言葉は姉に対してだけ侮蔑的になっていった。 ルールに統一性がないため、外からは混沌とした状況に見えたことだろう。
「おはよう」合戦 ~「おはよう」 VS 「おはようございます」~
父は、些少なことに関して変に高らかな宣言をするところがあった。
「今まで朝は『おはようございます』と言っていたが、それは子どもの手本として言っていたのだ、ほんとうは父親が『ございます』をつけて話す必要はないのだから、明日からは朝の挨拶は『おはよう』にする。」
などと、真顔で宣言するのである。
ほう、じゃ、ふつうのおうちみたいになるのね。
翌朝、私も『おはよう』と挨拶した。もちろんそれは父の思惑から大きく外れることであり、父はすこぶる機嫌が悪かった。
父「おはよう。」
青ねずみ「おはよう。」
父「朝の挨拶は? できないんですか?」
青ねずみ「おはよう。・・・・・しましたよ。」
父も娘も強情同士だったが、「おはよう合戦」については珍しく私が勝利した。 上の会話を数日繰り返した後、とうとう父の挨拶は『おはようございます』に戻った。 めでたしめでたし。