
幼い頃の記憶を少しずつ綴っています。読んでくださる方の心に、何かが届くことを願って。
集中力をそがれ、本が読めなくなる
小学校中学年頃まで、私は読書が大好きだった。ドリトル先生、赤毛のアン、偉人の伝記物etc・・・。本の世界に没入し、その世界を楽しみ、味わったものだ。ひとたび本の世界に入ると、日常の細々とした嫌なことを忘れ、自由にその世界で遊べるのだった。
ところが、弟が幼児期後半あたりになってくると、「姉をじゃまする」という遊びに夢中になり、これを年がら年中続けるようになった。以下は、その例である。
当時、私の机は自宅の八畳間の一角にあった。机は壁をむいており、背中の向こう側に隣の六畳間があった。弟は、隣の六畳間から襖をそっと5~10cmだけ開け、その隙間から片目でこちらを覗き、私にだけ聞こえるほどの大きさの声で、
「おねえさんおねえさん」
とささやく。
青「今本を読んでるから、やめて。」
弟「ぼくなにもしてないよー」
そして、弟は襖をぴたりとしめ、しばらく黙る。
数分後、また襖をうすく開け、
弟「おねえさんおねえさん」
青「やめてって言ってるでしょう」
弟「ぼくなにもしてないよー」
弟は襖をしめ、しばらく黙る。
また数分後、
弟「おねえさんおねえさん」
青「やめてって言ってるでしょう。一体なに?」
弟「別にー」
弟は襖をしめ、しばらく黙る。
また数分後、
弟「おねえさんおねえさん」
青「やめてって言ってるでしょう。うるさいから話しかけないで。」
弟「ぼくなにもしてないよー。話しかけてないよー。おねえさんって言ってるだけだよー。」
青「とにかくやめて。すごくじゃまだから。」
弟「やめるやめた!」
弟は襖をしめ、しばらく黙る。
また数分後、
弟「おねえさんおねえさん」
青「やめたんじゃなかったの?」
弟「やめたよ。やめてまた始めた。ねえ、おねえさんおねえさん」
青「いい加減にして!!!」
これが延々と繰り返される。両親に訴えても、取り合ってもらえない。 弟は、親から叱られることがないので、悪びれることなく、これを四六時中やり続けた。
次第に、私は本に集中できなくなっていった。本の世界に入れそうになる時があっても、「おねえさんおねえさん」の声が聞こえ、現実に立ち戻らされる。そのうち、実際に弟がいないときでも、本の途中ではっとして後ろを振り返るようになっていった。そして、だんだん本が読めなくなった。
読みたい本はたくさんある。でも、読めない。表紙をめくっただけでも弟の声が聞こえる。
振り返って思うこと
これは過敏症状である。発達障害的な部分で感覚過敏はもともとあったと思われるが、外的な刺激によりこれが増幅されてしまった。弟からの刺激は、四六時中、年がら年中であり、逃げようがなかったので、非常に強力なストレスとなっていた。
成人した今でも、私は後ろから誰かに話しかけられることが苦手である。突然後ろから声をかけられ、職場で悲鳴をあげたこともある。現在、自宅の自分の机は、壁に背を向け、ドアに顔を向けるように配置している。今でも、そうしないと安心できないのだ。トラウマは長く影響を残すものである。これは決して単発の過去のエピソードではない。
今回の話も、自室があればここまでひどくならなかった可能性がある。しかし、上述の弟の行動を振り返ると、仮に私に自室が与えられた場合でも、弟はドアをうすく開けて「おねえさんおねえさん」と声をかけてきたかもしれない。親からは、相手の領域を侵さないためのルールをきちんと指導してほしかった。
別記事にも書いたが、なぜ弟がこんな不毛な遊びを続けたのかにも、着目しておく必要がある。もっとほかに楽しみを見つけていたら、姉をじゃまする遊びなどにかまけている暇はないはずだ。弟には、こんなこと以外に気張らしの方法がなかったのである。姉の立場からすれば、甘やかされて何も怒られることのない弟が羨ましかったが、弟は弟で苦しみを抱えていたに違いない。
本が読めなくなった話は、切実な話である。本に関する話は、後日別記事にする予定。
夏休みが台無しにされる
この、弟による終わりのない邪魔は、あれから数年たってもまだ続いていた。
私が中学に入ると、急に学校の課題が増え、忙しくなった。夏休みの宿題も各科いろいろ出ていた。夏休みの始まる前、「これは、小学生の頃みたいにはゆっくり構えていられないな」と思った。それで、事前に弟ねずみくんにもきちんと話した、
「去年までと違って、今年の夏は課題が多くて大変だから。今までみたいにかまってあげる時間はないから。絶対にじゃましないでね。」
と。
その時は弟ねずみも反論せずに聞いていたが、果たして夏休みが始まると、事態は去年までと何も変わっていない。
弟「おねえさんおねえさん」
青「今忙しいから話しかけないで」
弟「おねえさんおねえさん」
青「宿題やっている時に邪魔しない約束だったでしょ」
弟「約束してないよー」
青「とにかく、うるさいからやめて」
弟「ねえ、これ知ってる?見て見て、これ欲しい?」
青「静かにして」
弟「えー、要らないの~!?せっかくあげようと思ったのにな~おねえさん要ると思ったのにな~どうしようかな~あげるのやめようかな~それか、アレもう捨てちゃおうかな~」
青「何の話?」
弟「別にー、こっちの話」
青「じゃ、静かにして」
弟「静かにする。静かにした。ねえ、おねえさんおねえさん」
青「静かにしてないじゃない」
弟「1秒間静かにした、そのあとでおねえさんって言っただけだよ、ねえおねえさんおねえさんおねえさん」
青「もう、いい加減にして!!!」
やはり、これが延々と繰り返される。両親に訴えても、取り合ってもらえない。 弟は、親から叱られることがないので、悪びれることなく、これを四六時中やり続ける。
夏休みが終わる頃、私は課題が全然終わっていないことに愕然とした。なんということだろう、夏休み前にあれほどしっかり計画していたのに。
少しでも効率よく課題をやり終えて、夏休みの最後は余裕のある時間を過ごそうと思っていた。課題がすっかり終わっていたら、きっと晴れやかな気分で夏の残りを楽しめただろう。大きなイベントがなくたっていい、ささやかな楽しみ・・・落書きをしたり、友人に手紙を書いたり、夏雲を眺めたり、セミの抜け殻を探したりetc・・・。
どうにもならない思いがあふれ、私はわんわん泣いた。
「弟ねずみが私の夏休みをとっちゃった。ひどいひどい。私の大事な時間を返して。ほんとうだったら楽しいことがいっぱいあったはずなのに。大事な夏休みを返して。」
終わっていない課題を前にした焦りとともに、大事な時間が全部なくなってしまったことへの怒りや悲しみがないまぜになっていた。
弟は謝らなかった。なぜなら、両親が弟を叱らないからだ。
弟は、きょとんとした表情をしていた。いつも、弟は、何かことが起こった後にはきょとんとした顔をするのだ。それが処世術だったのだろう。
両親は、私の「終わっていない宿題」をチェックしながら、あきれたようにため息をついた。
母「いかに計画性がないか、自分でよくわかったでしょう、青ねずみ。」
その日から、夏休み最後の数日間を使って、猛然と宿題と格闘した。ひどいやっつけ仕事だった。
(その数日間はさすがに両親公認の「緊急事態」となっていたので、弟ねずみが「おねえさんおねえさん」の邪魔遊びをする余地はなかった。)
さて、その一年後。
また夏休みがやってくる。
今度こそ、自分のペースで夏休みを過ごしたい。これを弟にどう伝えたらよいか・・・と考えていた矢先である。
母が低い声で弟に言った、
「弟ねずみくん気をつけなさいよ。下手なことするんじゃないわよ。また去年みたいな面倒なことになったら家中大変なんだからね。」
それを聞いて、背筋に冷たいものが走った。母にとって、駄目なのは「邪魔する弟」ではなく、「計画性も忍耐力もない青」なのだ、そして、「最後に大泣きする、面倒な青」・・・。
私は、もう全部投げ出したいような重い気分を抱えて夏休みを迎えた。
その年、弟は「もっとうまくやった」。
そして、学校の宿題も満足にできない私は、また惨めな思いで夏休みを終えた。
これが繰り返された。
こうしたことは、私が高校生になっても、形を少しずつ変えながら続けられていた(すなわち、弟だって10代にもなっているということである)。
ノイズキャンセルのために歌を歌いながらでも、なんとか頑張ろうともがいていた。しかし、歌えば父から怒られるし、弟の邪魔は止まなかった。
振り返って思うこと
中学時代の夏休み明け、立派な提出物を出し称賛される同級生が眩しく、羨ましかった。自分もそんなふうに立派に課題をこなしたかったのだ。
この頃は、そんな「意欲」がまだ健在だった。しかし、失敗体験を積むに従い、徐々に意気消沈し、何事にも希望が見いだせなくなるものである。
言うまでもないが、親は、宿題の終わっていない娘にあきれるだけではなく、それに至った原因を考慮する必要がある。
母には、「(お姉さんが荒れると)面倒なことになるから」という理由で弟をたしなめるのではなく、「人の邪魔をしてはいけない」という基本的な躾をしてほしかった(これがまったくなされていなかったのだ)。
では、なぜ母の言い方はあんなふうになっていたのか? それは、この時点で既に家庭内にいじめの構造ができあがっていたからだ。家庭内カーストにおいて、青ねずみは最下層に位置されており、尊重も配慮も不要とされていたからだ。
返す返すも、自分の部屋が欲しかった。今回の話も、自室があればここまではひどくならなかった可能性がある。もちろん、それでも弟の「おねえさんおねえさん」は別の形で繰り返されただろうけれど。
繰り返しになるが、弟自身の抱える問題についても無視はできない。当時の私にはそこまで考える余地はなかったが、弟が10代になっても姉を邪魔する遊びを続けたということは、よほど鬱屈したものを抱えていたと捉えるべきだろう。これは、大人たちが気づいてやらなければならなかった問題である。