弟の好きな恐竜展が家族のイベントになる
弟は幼児期、恐竜に夢中になった。父は張り切って、弟に恐竜の本を買い与えた。恐竜展のような催し物があると、それが家族のイベントになった。 何事も弟中心で回ることに嫌気がさした私は、ある日、 「もう恐竜ばっかりで嫌だ」 と言ったことがある。しかし、その後も「今回は弟ねずみくんの好きな恐竜を見に行ったから、来週は青ちゃんの好きなミュージカルを観に行こうね」というような流れにはならなかった。
ある日、何かの話の中で、私が「ステゴサウルス、いいよね」といった相槌を打ったときである。弟が 「お姉さん、恐竜嫌いなんじゃなかったっけ」 と意地悪そうに言い放ったのである。若干5歳で、もうこんなに人を傷つける発言をするなんてね。
振り返って思うこと
言うまでもなく、私は「恐竜」が嫌いなのではなく、「弟が恐竜の話をし、親たちがそれをちやほやしている構図」が嫌いだったのである。私もまだ10歳ほどだったので、そこまでは言い返せなかったが。
テレビの話 ~弟の観たがった番組を家族全員で観る~
こうした格差は、ひとたびコミュニティの中に根付くと、だんだん誰もがそれを不自然に思わなくなっていくものなのだろう。恐竜展は10歳と5歳の姉弟の話であったが、以下は、25歳と20歳の姉弟になってもこの格差が存続していた例である。
ある日、20歳の弟ねずみくんが、ドラマの予告を観て、「これ観たいな」と言った。NHKの単発ドラマだった。
「弟ねずみくんが観たがっているドラマだから、みんなで観ましょう」 ということになり、家族4人で観た。良い内容のドラマであり、父も母も 「さすが弟ねずみくんが観たがっていただけあるね。いいドラマだったね」 と口々に称賛していた。
少し後に、私の好きな映画がTV放映されることになった。「ベティ・ブルー・インテグラル」という長めのフランス映画である。放映前に、私も「これ、大好きな映画なの」と家族に言った。しかし、家族は誰一人として興味を示さなかった。寂しい気持ちを抱きつつ、私は居間でイヤホンをつけて一人でTV放映を観ていた。途中、酔っぱらって寝っ転がっていた父が何度かトイレに立ったのは知っている。父は、ずっと無言だった。
翌日、母に怒られた。
母「お父さんが寝たがっていたの、わかっていたでしょう。なんでTVを消さなかったの、気が利かないわね。音も漏れていてうるさかったって言ってたわよ。」
弟「ダッセー、音漏れダッセー!」
振り返って思うこと
言うまでもなく、私は、「青ねずみが好きな映画だから、みんなで観ましょう」という流れを期待していた。観終わったら、「さすが青ねずみの好きな映画だけあるね」という感想が欲しかった。しかし、そうはならなかった。そして、そうならなかったことに、家族の誰もが違和感を持たなかった。一旦格差が家庭の中に根付くと、誰もがそれを不自然に思わなくなっていくものなのだろう。こうなってしまうと、「おかしいでしょう」と声を上げても、誰にも届かない。また、被差別側も、差別されることに慣れ過ぎてしまい、おかしいことに気づきにくくなってくる。
ちなみに、このブログのタイトルについている「インテグラル」は、この映画に由来したものである。