父は弟専属の遊び相手となる
幼少時、私はよく父と遊んだ。一人っ子時代、父が仕事から帰ると、私は大喜びで
「さあ遊びましょう!」
と言って父を迎えたらしい。父は、夕食もそこそこに、いろんな遊びをしてくれたという(これは、後に両親から聞いた)。 私の人生の最初の数年間は、最高に幸せなものだった。そして、そのことが、その後の自分を救ってくれた(救い続けている)に違いない。
さて、弟が生まれてから、状況が一転した。 父は、弟ねずみに夢中になった。明けても暮れても弟ねずみ、である。 弟が幼児期に入ると、仕事以外の父の時間のほとんどは、弟と遊ぶための時間になった。家にいるときはいつでも弟と話すか、弟と遊んでいる。
小学校低学年のある日も、私は父と弟が遊ぶのを、少し離れた場所からじっと見ていた。私は待っていた、弟と遊び終わった父がこちらを振り向いてくれるのを。
しかし、ひとつの遊びが終わればまた別の遊びへと移るばかりで、父と弟の時間は一向に終わる気配がない。輪投げ、オセロ、ブロック工作・・・etc。
意を決して、私は父に言った、
「たまには私とも遊んでください」
父は、こちらをちらっと見て、
「弟ねずみくんとの遊びが終わったらね」
と言った。さっきからずっと待っているけれど、一向に終わらないではないか。
私はまた待った。長い時間待ったと思う。しびれを切らし、また言った、
青「まだですか。ずっと弟ねずみくんとの遊びばかりじゃないですか。」
父「終わったらと言いましたよね」
青「いつ終わるんですか?」
父「待っていればいつか終わります」
青「終わらないじゃない。いつも待ってるけど、私とは全然遊んでくれないじゃない。」
とうとう、私は泣き出した。
向こうの方で、父が弟に何か話しているらしいのが聞こえた。
ややあって、父がつかつかと私の方に来た。明らかに、楽しくなさそうな顔だった。
父「いいですよ、遊んであげますよ。何しますか?」
何するって、急に・・・。楽しくなさそうな顔をした父と、いったい何をすればいいというのだろう? 私は答えられなかった。
父「遊びたいんでしょう? 弟ねずみくんが、おとうさまをお姉さんに貸してくれるって言いましたよ。弟ねずみくんにお礼を言いなさい。さあ、何して遊びたいんですか?」
衝撃的で、屈辱的な言葉だった。私は、父を弟から借りなければならないのか・・・。
私はいよいよ大泣きし、一言も言葉が出ないほどしゃくりあげていた。
そんな私を見て、父は突然怒鳴った。
父「もういいよ、せっかく遊んでやるって言っても何もしないんじゃ、どうしようもない。こっちだってお手紙ごっこなんてやりたかないよ!」
そう言い捨てて、父は弟の方へ戻っていった。
私には、泣きじゃくること以外に、なにもできなかった。その日、父は結局遊んでくれなかった。
ここまで読んでくださった方へ。どうぞ、この日の会話を見返してください。私は、父親とお手紙ごっこをしたいなんて、一度でも言っていましたか?
振り返って思うこと
小学校低学年の時のことである。たしかに、この時期、学校では女の子同士でお手紙のやり取りがさかんであった。しかし、父親ともそれをしたいだなんて、私は一言も言っていない。また、仮にその日の私のやりたいことが本当にお手紙ごっこだったとして、親はそれをつまらなそうに扱うべきではない。
おそらく、父自身が非常に未熟な、少年のような人間だったので、単純に父自身が楽しめる遊びが良かったのだろう。弟が生まれてからは、男の子の遊び相手ができて大喜びだったにちがいない。「女の子なんかと遊んだってつまんねーや」と言ったところだろうか。そうであったとしても、二児の父親となったからには、それなりの自覚がほしかった。
父親を弟から借りなければならないなんて、なんと悲しく屈辱的な話なのだろう・・・