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姉弟間の格差④ ~父の対応② (弟に優先して教えること)~

目次

父は優先的に弟に話しかける

父は、一般常識に欠ける部分もあったが、(偏りがありつつも)知識の量としてはかなりのものを持っており、蘊蓄を傾けるのが好きだった。

「おとうさまは、53833個の知識を持っています。そのうちのひとつを今日話します」
といった具合に何かの雑学的なものを教えてくれ、
「どうですか、何の役にも立たない話はおもしろいでしょう。これで53832個になりました。また明日ひとつ教えてあげます」
といった具合に締めくくられた。私の幼少時、これは楽しい時間だった。教えてもらう内容は、漢字の成り立ちであったり、漢字を変形したトンチ絵であったり、ベルヌーイの法則だったり、ドップラー効果だったり、コアラの学名だったり、回文だったりした。

父の雑学話は長く続いた。しかし、弟の幼児期からは、姉弟二人に教える時も、弟が優先されるようになった。

多くの場合、夕食後、食卓の片隅で行われる。父の右に弟ねずみ、父の左に青ねずみが座っている。父は、自身の右側の隅を片付け、そこに何かの裏紙を置き、何かの説明を始めるのだった。弟の目の前、ということである。私は離れた場所からそれを見ながら、話に加わった。これは、私が近視になり始めてからも、同様である。

こういうことが常時になっていたので、たまりかねて、ある日先手を打ってみた。
夕食が終わり、父が紙と鉛筆を探し出したので、急いで父の「左側の隅」(すなわち、自分の目の前)を片付け、きれいに拭き、空きスペースを作った。 それを見て、父は一瞬手を止め、私の顔を覗き込んでおかしそうにふふっと笑い、それから弟の方に向き直り、「右側の隅」を片付け、
「さて、今日のお話をしましょう、これは・・・」
と始めた。

計画は見事に失敗に終わったのだった。いやーな感覚が残った。

振り返って思うこと

父は、とにかく長男に何かを教えたくてたまらなかったのだろう。昭和の漫画「巨人の星」における星一徹が長男・飛雄馬への教育に夢中であったのによく似ている(星一徹は長女・明子の教育にはまったく無頓着だった)。

父が、わざと私に遠くからものを見るように仕向けていた向きもある。何かを見せるとき、自分の左側に座る私に対し、見せる対象物を右手に持ち、さらに少し後ろに引きながら「ほら、こういう・・・」と提示することがあり、私は子供心に「意地悪だなあ」と思っていた。父としては、「気合いで(!?)遠くのものを見える目になれ!」という気持ちもあったのか。娘としては、苦痛以外のなにものでもなかったが。

教える順番について ~「お姉さんにも教えてあげてくださいね」の屈辱~

こうした雑学は、常にわれわれ二人に向かって話されるとは限らない。だんだんと弟だけに授けられることも多くなってきた。父は、何かを先に弟に教えた上で、
「お姉さんにも教えてあげてくださいね」
と言うのである。

<例1>
私が「苫小牧」を「とまこまき」と読み間違えた時、父と弟は目を合わせ、「エ~!?」と言ってゲラゲラ笑い出し、私は恥ずかしさで真っ赤になった。

<例2>
父と弟が地球儀を見ながらバンコクの話をしていた。その当時、私は小学校の教科書で「アメリカの万国博覧会で~~」という一節を読んだばかりだったので、「アメリカ?」と尋ねてみた。すると、父と弟は目を合わせ、二人ともふっと吹き出した。
父「お姉さんはよく知らないみたいだから、弟ねずみくん、教えてあげてください」

振り返って思うこと

なぜ年下の兄弟から知識を授けられなければならないのだろう? これでは姉としての面目が丸つぶれである。
もともと5歳年上の姉という立場上、弟よりも知っていて当たり前、知らなかったら大笑いされかねないといった緊迫感の中にいるのだ。まず姉に教え、「弟くんにも教えてあげてください」が順当だろう。
たまたま弟だけに何かを教えるタイミングができてしまうのはかまわないとしても、上の兄弟が恥をかかないための配慮が必要であったと思う。

弟が姉を嘲笑するような我が家の文化は、こうやってできてきたのかもしれない。

余談であるが、知識の伝授という観点から言えば、幼い兄弟を通して授けられる知識は、大人から直接聞いた場合よりもかなり劣化したそれである。

いつの間にか、弟だけに話していた

夕食後、いつものように、父が食卓の「右側の隅」を片付け、弟の方を向いて話をしていた。その時の話題は、「どんぐりの里親」という制度の説明だった。どんぐりを育て、苗を森に植える制度だと思う(当時のものは内容が少し異なっていたかもしれないが)。 父は、弟の方を向いて説明をし、
「どうですか?やってみたいと思いますか?」
と言った。弟と一緒に、私も、
「はい!はい!」
と威勢よく返事をした。こっちも振り返って話してほしいなあと思いながら。
そのあと、父のさらに詳しい説明が続いた。父は私の方はまったく向かない。なんとか振り向いてもらいたくて、私はいくつかの質問をした。
青「それはいつでも申し込めるんですか?」
青「お金とかはかからないんですか?」
父は答えない。説明が続く。なにか、別の質問を考えなくちゃ・・・。
青「それを申し込むときは・・・」
父「少し静かにできませんか? いま弟ねずみくんに話しているんですから。」
青「え・・・」
そこへ、食器洗いを終えた母が戻ってきた。
母「また青が馬鹿やってるの? 自分に向かって話していないことくらいわかるでしょう」
青「二人に話してくれてると思ったんだもん・・・」
悲しくて、この日も涙が止まらなくなった。

その夜は、泣きながら寝た。翌朝起きると、父はもう仕事に出かけていた。食卓の私の席に、
「どんぐりの里親 ベルシステム (電話番号)」
と父の字で書かれたメモが置かれていた。 父も、少しは娘をかわいそうに思って書置きしてくれたのだろうか。でも、ほんとうは、昨日あの場で弟と私二人に向けて話してほしかったな・・・。 そんなことを思いながら、そのメモを母に見せた。すると、母は、
「あなたがわがまま言ったからでしょ」
と言い放った。とたんに、メモが空虚なもののように見えた。
結局、弟も私も、どんぐりの里親には申し込まなかった。

振り返って思うこと

母よ、「自分に向かって話していないことくらいわかるでしょう」と私に言うかわりに、「青も話してほしがっていることくらいわかるでしょう」と父に言ってくれたら良かったのに。

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この記事を書いた人

虐待サバイバー医師です。内科医兼精神科医です。医学部再受験の時のことや、自身の歩んできた道、思うことなどを書いていきたいと思っています。

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