
幼い頃の記憶を少しずつ綴っています。読んでくださる方の心に、何かが届くことを願って。
もうひとつのかぐや姫症候群
「幼少時、どんなふうに育てられたか」という質問には、毒親とか虐待とか搾取子とかの言葉を用いると手短に語りやすい。弟との関係性だけで語るなら、青は(ネットスラングで言うところの)「搾取子」、弟は「愛玩子」といった対比で非常に単純明快でわかりやすい。しかし、思い返せば思い返すほど、どうもそんなに単純でもない。 両親(とりわけ父)と自分との関係性を考えると、「わたしはかぐや姫のように育てられました」というのがいちばんしっくりくる。 とは言っても、ネット検索したら出てくる「かぐや姫症候群(下記)」とはおよそ別物なので、なんと言えば良いのか、「もうひとつのかぐや姫症候群」とでも言えば良いのか。どんなふうにかぐや姫なのかは、具体的にエピソードを書いていく方がわかりやすいのではないかと考える。
「かぐや姫症候群」 竹取物語に登場するかぐや姫のように、高スペックでありながらも、現実の恋愛や結婚に難しさを抱える女性たちの状態を指す場合があるようです。具体的には、過度な理想を抱き、現実の男性を評価しすぎて、関係がうまくいかない、または、自立心が欠如し、誰かに依存してしまうといった状態を指すことがあります。



たしかに上記の「かぐや姫症候群」とは別物ですね・・・
生まれてきただけでこのうえない喜び、という原点
父は40歳まで独身だったため、結婚も子供も半ば諦めていたらしかった。結婚後に子供に恵まれた父の喜びようは相当なものだったらしい。私が生まれた時、父は41歳、母は33歳だった。今でこそ珍しくもない年齢に見えるが、昭和の時代にこの年齢での初産は大変だっただろうと思う。
私を妊娠していた頃、母は常に体調が悪かったらしい。不安が強く、何につけても物事を悪く考えがちだったという。父は「どんな障害を抱えて生まれようと、全力で大事にする。だから安心して産んだらいい。」と話し、それを聞いた母はやっと気が軽くなって出産を迎えられたという。後から何度も聞いたが、なんと素敵な話なのだろう、ここまでで完結する話であったならば。
親の欲望の始まり ~這えば立て立てば歩めの親心?~
0歳時の頃、私は先天性股関節亜脱臼と診断され、一時バンド治療(リーメンビューゲル装具)を受けていた。通院の車の中で、父は渋滞に苛立ち「あーあ」と呟いたそうだ。それに対し、赤ちゃんの自分は「あーあ」と真似たそうだ。それを聞いた父は、「お!」と思い、数を変えていろいろ試した。 父「あーあーあ」、赤ちゃん青ねずみ「あーあーあ」 父「あーあーあーあ」、赤ちゃん青ねずみ「あーあーあーあ」 父「この子すごいぞ!ただの赤ちゃんとは違うぞ!天才かもしれないぞ!!」
後になって、母は「あれが始まりだった」と何度も言っていた。父は、幼い青ねずみを天才だと思い込み、狂喜乱舞してしまったようだ。父は我が子を溺愛し、高い理想を掲げるようになった。四六時中、「青は美人だし、頭も良いし、最高の娘だ」と赤ちゃんに言い聞かせた。赤ちゃんに使うにはもったいないような高級な布団を買ってきて母を驚かせた。敬語で話し、立ち居振る舞いや食器の使い方などを丁寧に(口うるさく!?)指導した。普通の子では気が済まなかった。普通のお嬢様でも気が済まなかった。 父「並みの子と一緒にしちゃ駄目だ、この子は青なんだから。」



生まれてきただけでこのうえない喜びだったという、最初の気持ちはどこへ行ってしまったのでょう?
振り返って思うこと
このあたりが、かぐや姫の物語のスタートであったと思う。本家の「かぐや姫」がどんな意図があって驚異的なスピードで成長したのかはわからないが、「並みであってはならない」という点において、自分の境遇と重なると考えている。竹の中からかわいい女の子を見つけたのであれば(≒高齢になって待望の赤ちゃんに恵まれたのであれば)、どんな子に成長しようとも、ありがたく温かく見守れば良かったのに。そういえば、ジブリの「かぐや姫の物語」では、徐々に欲に目がくらんでいく翁が描かれており、自分の父の変化と重ね合わせやすい。
私の家族の中では、断トツで父がASD的なのであるが、私自身も発達障害的な要素は多分に持ち合わせていたと思う(ASD的な要素もADHD的な要素も併せ持つ)。ところで、数々の姫物語の中でも、特にかぐや姫には人間らしさが感じられにくい(まあ、地球に棲む人間の話ではないので、当然と言えば当然だが)。私が読むと、かぐや姫も相当ASD的に見える。
自分自身をかぐや姫と重ね合わせた話は、ここで一旦終了する。後日の話になるが、かぐや姫は求婚も断り、毒親との縁も断ち切って、この世界から離れた・・・というストーリーになる・・・かも・・・?