MENU

女性性器とバストのサイズについて ~あと少し説明があったなら~

青ねずみ

幼い頃の記憶を少しずつ綴っています。読んでくださる方の心に、何かが届くことを願って。

目次

自分の性器の形が変だと思い込んでいた話

幼少時のある日、母が私の陰部をみて金切り声をあげたのをよく覚えている。
「なにこれ!? 青ねずみ! あなたこういうところをいじってるんじゃないの!? ここは普通はこんな形じゃないのよ!!」
自分にはまったく身に覚えがない。陰部いじりなんて、したこともない。

母の金切り声はかなり強烈だったので、恐怖感とともに、しっかりと記憶に留められた。自分は、成人するまで、自分の性器は変な形をしているのだと思っていた。これは、強い劣等感のもととなった。
以下、私が成人してから母に聞いた話である。

小児科医が「心配ない」と言っても、母からは説明を聞いていない

母は、幼い私を近所の小児科(T女医)に連れて行ったそうだ。
小児科医は、私の陰部をみて、
「なんでもないわよ。この子はまだ小さくて痩せているから性器が目立って見えるだけよ。大人になって周りにお肉がついたら普通の形になるわよ。」
と説明した。加えて、
「でも、こんな細かなことに気がついて心配する母親って、滅多にいないわ。立派だと思うわよ。」
と。
母はこれを聞いてすっかり安堵したという。そして、それきり、このことは終わったことになっていた。

成人になってから、私はこの出来事について母に問いただしたことがある。
母「あら、だって、あれはT先生が大丈夫だって言ってたじゃないの。青も一緒に聞いていたでしょ?」

振り返って思うこと

母は安堵し、その場で終わったことになっていた。しかし、幼い自分には、最初に金切り声をあげられた恐怖の出来事としか記憶されていない。そして、成人するまで、自分の性器は異型なのだと信じこんでいた。
たしかに小児科医の説明時に、自分は一緒にいたのだろう。しかし、幼い自分には、頭上で交わされる大人たちの会話は入ってきていない。本来は、この後、母から
「良かったわね、何でもないんですって。騒いで怖い思いをさせちゃって、ごめんね。」
という一言が必要だったのである。

では、なぜ大切な説明が省かれてしまったのか?
母にとっては、母自身が安堵した時点で、この話は終了となっていたのだ。
子供も安心したかどうかの確認がなされていなかった。また、最初の時点の金切り声で子供を怖がらせたという自覚に乏しかった。
「子供が怖がっているかもしれない」という想像力がもう少しあったら、結果は変わっていたかもしれない。

母にとって、自身と娘との境界線が曖昧であったという問題がある。そのために、「自分(母)は安心した」が、「私たち(母娘)は安心した」に変換されやすいのである。このあと起こるさまざまな過干渉は、母娘の境界線の曖昧さに所以するところが非常に大きい。

これとは別に、子供である自分自身の特性も関与したかもしれない。
「はっきりした修正がなされない限り、最初にインプットされたものが記憶に残りやすい」という特性である。
以下、母の擁護のために、別エピソードをひとつ。

ブラジャーのサイズを長年間違えていた話

私は、思春期の頃に母からブラジャーを買ってもらった時に「Aカップよ」と言われたのをよく覚えていた。そして、それが自分のサイズなのだと思いこみ、大人になってからも何も疑うことなく、Aカップのブラジャーを買い続けていた。 二回目の結婚の時にドレスのフィッティングをした際、店員さんから
「カップはCだと思いますよ」
と言われた。びっくりして、その日のうちにCカップのブラジャーを買ってきた。すると、ぴったり合うではないか! 今まで、胸を押しつぶしながら無理矢理Aカップのブラジャーをつけていたなんて!
その驚きの臨場感のために当時の年齢を曝露するが、それは私が48歳の時のことである。

振り返って思うこと

よくよく考えてみれば、年齢も体重も体型も変化しているのだから、ブラジャーのサイズも変化して当然である。サイズの合わなくなったものをつけておきながら、それに何の違和感も感じなかったのは、われながらぼんやりしすぎだろうと思う。これはまったく母には落ち度がない。
「はっきりした修正がなされない限り、最初にインプットされたものが記憶に残りやすい」という特性の一例であった。

青ねずみ

多分にASD的ですな・・・

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

虐待サバイバー医師です。内科医兼精神科医です。医学部再受験の時のことや、自身の歩んできた道、思うことなどを書いていきたいと思っています。

目次