
幼い頃の記憶を少しずつ綴っています。読んでくださる方の心に、何かが届くことを願って。
弟が生まれ、少し大きくなると、まず困惑したのは、距離感であった。
何をしている時でも、くっついてくる。つきまとってくる。
自分も子どもだったので、的確に表現することができなかったが、とにかくくっついてこられることが苦痛だった(大人になった今ならば、あれは「生理的に苦痛だった」と表現できる)。兄弟って、こんなに息苦しいものだったの? これが終わりなく毎日続くの? こんな酷いことになるなんて。これでは、弟をかわいがるどころではない。頭では「かわいがらなきゃ」と自分に言い聞かせるが、現実問題としてそんな余裕はない。「自分の吸う空気がない」というほどの感覚だった。



「自分の吸う空気がない」というのは、一度目の結婚生活の辛さを親に訴えたときの表現でした。でも、振り返ると、これは、子ども時代からずっと持ち続けた、息苦しさの感覚でした。
親からは「弟ねずみくんはお姉さんと遊びたくてそばに行くんだから、優しくしてあげなさい」、「お姉さんなんだから、我慢しなさい」、と注意されていたが、私はどうしても我慢できなかった。弟には「お願いだから寄ってこないで」「あっちへ行って」と何度も言っていた。たまには大きい声を上げた。
父親からは、
「そういう声を出すんじゃない。邪魔されて嫌だったら黙って逃げなさい。」
と叱られた。
でも、どこへ逃げればよいというのだろう? 当時の家は和室3部屋しかない狭い家で、自分の部屋もない。どこへも逃げる場所がない。場所を移動したって、弟は移動した先までついてくる。だって弟は「そこ」にいたいのではなく、「姉の近く」にいたいのだから。
「自分の部屋が欲しい」と、何度思ったことかわからない。しかし、(親からの説明はなかったが)どうやら我が家はあまり裕福ではなく、狭い家で我慢するしかないようだった。
「せめて、『ここから先は弟ねずみくんは入れない』っていう境界線を決めてほしい」
と、何度か親に頼んだ。母の答えは
「あら駄目よ、だってここ青ねずみの部屋じゃないもの。」
というものだった。



答えになっていない・・・
振り返って思うこと
長いこと、青ねずみの忍耐力不足と捉えられていた。しかし、大人になった今から振り返れば、これはパーソナルスペースの問題である。青ねずみはもともと人との距離の近すぎるのが苦手で、特に身体接触にはかなり敏感だった。学校でも社会でも、人の密集したところを避けていた。ASD寄りの特性も持っていたのだと思われる。 弟との物理的距離感の問題において、青ねずみは生理的に強い不快感を感じていた。しかし、幼少期には、当然それを的確に言い表す術がない。大人がもう少し注意深く自分たちを観察してくれていたら・・・とよく思う(現在ほど発達障害やパーソナルスペースについての議論がされていなかった時代なので、しかたのない部分があったのかもしれないが)。
青ねずみだけでなく、弟ねずみくんもASD特性を持っていた可能性がある。パーソナルスペースの問題で言えば、青ねずみのパーソナルスペースは人より広めであったのに対し、弟ねずみくんのパーソナルスペースは狭めであったのかもしれない。いずれにせよ、大人たちには、「上の子に我慢をさせる」のではなく、子どもたちを個別に観察して、苦痛やストレスを感じている子がいた場合にそれを最小限にするための方策を講じてほしかったと思う。 これは、アレルギーの話に置き換えるとわかりやすい。例えば、小麦にアレルギー反応を起こす子がいたら、親がすべきことは、その子にアレルギー症状を我慢させることではなく、アレルゲンである小麦を食事から除去することである。
大人になれば、自分の意思で他者との距離感を決められることもあるが、子どもにはそれができない。「逃げなさい」と言うのであれば、具体的な逃げ場所を確保し、提示する必要があったと思う。私は、切なる希望として、自分の部屋が欲しかった。それが無理なら、家の一部でよいので、「安心できる(=安心して一人になれる)スペース」を確保してほしかった。
親は、弟に対しては何も指導しなかった。もしも「嫌がる相手には近づきすぎないように」という指導が少しでもあったら、問題はもう少し軽くなっていたのではないかと思う。 また、弟の行動を「お姉さんが大好きなのねえ」と笑ってみている場合ではない。相手を苦しめるほどにしつこくつきまとっているのを見たのであれば、「弟ねずみくんも何かの問題を抱えていないだろうか?」と疑ってみるべきである。



まあ、大好きで許されるんなら、ストーカーもまかり通ってしまうわな・・・(呟き)
実は、母ねずみもパーソナルスペース広めで、狭い場所が大嫌いな人間だったらしい。
子ども時代、お料理を覚えたくて台所へ行った青ねずみは、そのたび母に「狭いんだから来ないで」と言われて追い出された。私は母から料理を教わることができずに成長した。