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部屋がないという問題② ~危険で悲しい理不尽なできごと~

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危険で悲しい理不尽なできごと

私が小学校高学年の頃のできごと。弟は当時5〜6才だったはず。

ある休日、自宅でのことだ。 私が自分の学習机で一人で本を眺めていたところ、突然弟が前から飛びついてきた。その勢いで、椅子が後方に傾いた。わあ! 危ない危ない、倒れる!! 私は必死に机の縁を掴み、両手で二人分の体重を支えながら助けを呼んだ。
「誰か来て!! 早く来て!! 助けてー!!!」
誰も来ない。母は屋外で洗濯物を干しているので聞こえていない。でも父は隣の居間にいる。お願い早く助けに来て。 しかし、父は来ない。 そうこうするうちに、椅子は傾きを増す。支えきれない。とうとう、椅子の背を下にして、ドシンと音を立て後ろ向きに倒れた。弟を身体の前面にくっつけたまま。

驚いたのと痛かったので、私は大泣きした。その声を聞いて、父親がやってきた。怖い顔をしていた。
「一体なんの騒ぎだ?」
なんの騒ぎも何も、倒れる前に何度も呼んだではないか。
弟が私の上から離れたので、私も起き上がった。背中を強く打ちつけており、痛かった。しかし、そのあと、もっと悲しいものを見つけてしまった。机の脇にそっと置いてあった大事な箱が、見事に潰れていたのだ。椅子の背の下敷きになって。 それは、厚紙でできた和菓子の空き箱で、自分のお気に入りだった。そこに、良くできた折紙作品を入れて、宝箱のように大切にしていたものだった。私は、背中の痛みも忘れて、箱を抱きしめて泣きじゃくった。

その泣き声に反応して激昂したのは、父である。
「貸してみなさい、これ以上うるさくするのなら、その箱をもっと潰してやろうか!」

声を上げたという理由で、私は(いつものように)怒られた。怪我がなかったかと心配する言葉はなかった。弟からの謝罪の言葉もなかった。その日、弟は(いつものように)お咎めなしだった。

振り返って思うこと

自分の記憶にある、どう考えても理不尽としか言いようのないできごとのひとつである。

あの日、なぜ弟が急に飛びついてきたのか、今でもわからない。自分だったら決してしない行動だった。
弟から見た姉は、笑って受け止められるくらいの大きい大人に見えたのだろうか。当時の青は体重20kg台の痩せた小柄な少女だったのだけれど。

このできごとの後、泣きじゃくる私に、母が代わりの箱を用意してくれた。しかし、父に対し「あれでは青がかわいそうですよ」と言ってくれることはなかった。当時の父と母の力関係の中では、母にはそんな言葉は出せなかったのだろう。

どう考えても自分になにひとつ落ち度はなかった。自分の机で一人で静かに本を眺めていただけだったのだ。今回の件も、自分の部屋がありさえすれば、起こることのなかったできごとである。

父は、今回に限らずさまざまな場面で、とにかく理由を聞かず、「声がうるさい」という一点において怒った。この日は、せっかく静かだった休日を損なわれて激昂したのだろう。
父には強いASD特性があり、聴覚過敏が関与した可能性がある。父が歌番組を嫌うことに関しては過去記事のとおりである。また、男性の声よりも女性の声に過敏に反応した(クラシック好きの父であったが、声楽はほとんど聴かなかった。中でも、テノールを聴くことはあっても、ソプラノは聴かなかった。) そのため、青ねずみと弟ねずみが同程度の声を出した場合でも、青ねずみがより怒られる可能性が高かったと思われる。
しかし、理由を聞くことなしに声に対してだけ怒るというやり方は、まったく教育的な効果を生まない。声を出させないというのは、単なる姑息的な対処である。声を上げるにはそれなりの理由があるのだから、それを聴取し対策しなければ、根本的な解決には至らない。

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この記事を書いた人

虐待サバイバー医師です。内科医兼精神科医です。医学部再受験の時のことや、自身の歩んできた道、思うことなどを書いていきたいと思っています。

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